『ニシノユキヒコの恋と冒険』川上弘美著

書籍

 世間が女流作家に求めるものは、果たして本当にこんなものなのだろうか?

 今から誤解の無いようにしておくが、私はこの作者である川上弘美はものすごく良い作家だと思っています。

 女であるのに夏目漱石や内田百閒や筒井康隆の影響を受けた作風なんて面白くないわけがない。

 この『ニシノユキヒコの恋と冒険』はどうかと……。それぞれの読みかたがあると思うので、その辺りをここでは書きたかったわけです。

 このブログのテーマとして、印象に残る一行を紹介するとしてますが、この作品にそんな部分はありません。いや、印象に残った一行があったと言うかたもいてよいんですが、私としてはこの作品がそんな意図で書かれたものではないと思うんですよ。

 冒頭で述べたように、みなさんが女流作家に求めるものは何でしょう? 女だって冒険小説やSF小説を書いてもよいわけですよね? 川上弘美はそもそもSFや幻想小説にこそ向いてそうなのに、何故にかやはり女であるが故にこの手の作品を周りが求めるのかなと思うのです。

 全く歯切れが悪くなりますが、これはそもそも幻想小説だよと見てもよいですね。

 しかし、この作品は竹野内豊主演で映画化されています。その際にはさっぱり意味はわからんのですが。主人公のニシノユキヒコがモテモテで、別れた女達がいつまでも忘れられずにいるような色男に描かれているように見えます。

 個人的に納得行かないなあ。私がこの小説を読んで、更に映画化されているのを発見して映画を視聴するまでにおよそ十年の期間が空きました。これは原作を忘れるには充分な空白なのではなかろうかと思いますが、私はこの小説に関して、結構名作だと思っていたので、映画化された作品をまあまあ楽しみにして観たわけです。もちろんがっかりしたんですけどね。

 この作品を読んでみて私の感想をざっくりした範囲で説明すると、「あらゆる女と交際するも、今ひとつあたしへの情熱が足りないのよねと女に思われる主人公のお話」だったわけです。

 以前に女流作家の某氏が発言したところによると、男の作家に創作出来る女キャラは、①幼女②母親③娼婦だけだそうな。男は全員がロリコンかマザコンか風俗狂いってわけですな。浅墓な認識の女もいたもんだ。

 これは言い得て妙だが、それなら女流作家が近来描くキャラは、①あたしのことを好きなオトコ②あたしのことをめっちゃ好きなオトコ③どうでもいいキモイやつの三つに分類出来るのではないか?

 男女の認識や能力の違いなどではなく、性別が違えどもただの人間関係や社会生活の中で、そんな特別に恋愛や性欲が優先されるべきなのだろうかと甚だ疑問ではある。

 女流作家の作品は大体がこうだ。「まずどこぞの男に好かれてそう。そしてあたしは誰のことが好きなのだろうか? 家族と比べてその男への愛情はどんな程度なのだろうか? でも他の女もいれば他の男もいるので嫉妬や邪推であたし苦しいの。何やかんやあってキワドイ性的表現もちょっと書いとく。結論として愛に癒されて、恋って崇高だ! 人生は素晴らしい! と悟りを開く」このパターン。

 しょーもな。

 男女であっても人間関係として、仲間同士で助け合ったり、人間的信義で繋がってたり、職業的契約の履行を果たしたり、その関係性は色々なのだろうが、そのすべてに恋愛が絡まないと話が進まないとなると違和感しか覚えない。どこのアホな読者がそんなもん求めてるんだろうか? しかしそんな作品を求める買い手がいるから、売り手の編集者と作家がそんなクソ作品を作るんだろうな。

 ここで一つ前提を覆してしまうと、そもそも恋愛なんかに癒されたりしてたまるか! そもそもおれは病気ではない。

 人間関係など、苦痛としがらみしかもたらさないのに、何でそれが崇高なものとして描かれるのだろう? 都会での孤独がすごく悪いように書かれることが多いが、本当のところ孤独が恐ろしいとするなら、無人島に漂着したり雪山で遭難して独りぼっちになるほうが、よほど恐ろしいのではないだろうか?

 孤独は病気ではない。そして私は癒しと言う言葉が嫌いだ。ついでに男性女性などの言いかたも嫌いだ。男と女でよくないか? 「女性の人」なんて言いかた聞くと虫唾が走るし、仮に「癒しのふれあい市民参加デー」かなんか言うイベントのポスターを見たら破ってやりたくなる。私はよく知らない他人と触れ合いたくもなければ、一円にもならない活動に参加もしたくない。更に何度も言うが、孤独は断じて病気ではない!

 孤独でないのはそりゃあ幸せなことなのかもしれない。しかし孤独でなくするためにもそれなりの努力が必要だ。これは金持ちに見えるようにするには金がかかるってのと同じくらいにつまらんことなのではないかな? 本当の目的って何だ? 幸せの実態って何?

 社会人にとって恋愛がファーストプライオリティーになるのは許されることではない。何なら家族への愛情すらもないがしろにすることを推奨するのが現代社会なのである。

 小説やドラマ映画に対して必要以上に男女の恋愛や性愛の要素を求めて、それが癒しになるなどと言うなら、人間の生活において、仕事や家庭生活がそんなに病むほどの苦痛であり退屈なものなのかとなる。そうなのか?

 日本中には本来、職業に夢や希望を持って、明日の自分の仕事でどこかの誰かが救われる。人間社会がおれのお陰で発展するとか、そんな希望を持って働いている人も多いだろうになあ。

 何でもかんでもLOVE要素を盛り込もうとする人達よ! もっとでっかい夢を持って生きようよ。

 私としては、この『ニシノユキヒコの恋と冒険』どころか何なら『源氏物語』さえも「色んな女とついつい付き合ってしまうけど、どうにもあたしに対しての情熱が足りないのよね」と思われる話であってくれるほうが都合が良い。

 つまらない男代表としての提案だが、この先受け入れられることはないんだろうなぁ。

 私なんかももう本当なら、社会で主導的な役割を担っててもおかしくない年齢になったのに、これと言って他人に職業的な希望を持たせるようなことなんて出来てないしな。

 つまらないことばかりな世の中にしてるのも私自身なのだろう。

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