この映画を初めて見たときに、私はまだ二十歳そこそこか、まだ十代後半だったのですが、とにかくもうインパクトがあった。主人公は、ハゲでチビで変態のおっさんです。その主人公に対して大いに感情移入出来た若者だった私には、当時から既に堕ちるところまで堕ちる運命が約束されていたのでしょう。
この映画はサスペンス映画なので、特にストーリーに触れることはしませんが、主人公のおっさんが自室の窓から向かいの若い娘の部屋を覗くところから始まります。
主人公は前述の通り、ハゲでチビで潔癖症で偏屈で吝嗇な上に過去の性犯罪での逮捕歴まで抱えるどうしようもないやつですが、分不相応にも覗き被害者である向かいの窓の美女に恋をしてしまいます。どうしようもないくらいにトチ狂ってますね。
しかし、一寸の虫にも五分の魂とでも言うべきか、この変態にも中々健気で愛すべき部分もあります。仕立て屋としての腕も悪くなく、繊細で優しくて内向的なおっさんなのですね。コミュニケーション能力が皆無なのが致命的なだけで、他にはこのおっさんを悪人だと断じる要素は全くありません。
仕立て屋の腕は悪くないようで、小金をためてスイスのローザンヌに家を買ってあります。ほんの少し条件が違えば、堅実に愛する女と幸せに暮らせたのであろうことが容易に思い浮かぶのに……でも、やっぱりこの手の人には破滅的な最期が待ち構えています。
当然このおっさん、近所でも変人扱いされている嫌われ者です。しかし、近隣住人に囲まれて軽蔑の目を向けられても、おっさんは絞り出すように心の声を吐き出します。「皆さんは私のことがお嫌いでしょうが、私も皆さんのことが大嫌いです!」正に私の中で拍手喝采の名場面でした。これだ! 私が常に言いたいことはこれだったのだと。
我思う故に我在り。好きも嫌いもどうせ個人の価値観によるものなので、私への好き嫌いなど私の存在抜きには語れない。近隣住民も私がいてこそ私を嫌う感情をようやく抱けるのだ。つまり私は神だ!
どんな人もある程度の疎外感や孤独感を持っているのでしょうが、そんなのはこのフランス映画の展開を考えれば答えが出るのではなかろうか?
どんな善人面した近隣の住人も、或いは好きになった女だって、表面上どんなに奇麗に見えても中身は結局薄汚いゴミの詰まった大して価値の無いものですよ。
このおっさんはそれを一時的に忘れてしまったのか、或いは何らかの変革を求めたのか、この後重大な間違いを犯して悲劇的な結末を迎える。
人間はつまりどんなに頑張っても群れの中でしか生きて行けないのだから、本当は内面なんか見ずに表面的な部分だけに満足していれば良いのかもしれない。
主人公のハゲは女や女の中身を愛したわけでなく、美しい女を覗き見ている自分のことが好きだっただけなのである。
人間相手と言うのは難しい。この若くて美しい女がハゲでチビの主人公と恋愛をするメリットなんてほんの欠片ほどもないのだから、愛する人の幸せを願えば、おっさんの不幸も良しとしなければなりますまい。ましてや生きた人間は何をしでかすかわからない。見たくない部分は見ずに、相手が見られたくないと願う部分を見ずにいるのは大事なことです。
つまり、この映画の主人公や私のような他人への関心が薄い社会不適合者達には、憧れは憧れのままで遠くから見守っているだけなのが最高の恋なんですよ。
と言うような話を、私が昔から恋焦がれて憧れ続けて来た美女にベッドの中で熱弁してみた。
彼女は眉間に少し皺を寄せて「じゃあこれは何?」と言ってから美しく笑った。
コメント