「僕は釜だの鍋だの皿だの茶碗だの、さういふものと一緒にゐるのが嫌ひなんだ」
芸術家はハードボイルドでなければならない。そう、この坂口安吾のように。
所詮、生活の質向上など考えるのは惨めなことなのだ。と言うだけなら簡単ですが、中々に生活の体裁を整えずに暮らして行くのは難しいもんです。何より生活用品に事欠く暮らしは、便利が悪い、健康に悪い、経済的でない、鈍い奴だと思われるなど、あまり得することが無い。
純文学部私小説学科を主席で卒業したかのような坂口安吾が言うなら間違いありますまい。
この短編小説は、『白痴』の単行本に収録されているのだが、この単行本収録の全編が戦中戦後の話なので、その独特の世界観を理解して読まなければなりません。
この一連の作品群の中では、男はみんな国民服にゲートルを巻いて背嚢を背負って歩いているのであり、女はみんなもんぺと防空頭巾ですな。人の死が今より遥かに身近だった時代、このころには今のように浮かれて暮らすことは出来なかった。
決死の覚悟で言葉を語り、決死の覚悟で酒を飲み、決死の覚悟で家族と過ごしていたのです。正に一億総ハードボイルド! 誰もがみな芸術家だった時代。
その伝で行くと、イスラエルやパレスチナや北朝鮮など芸術家の宝庫になっているはずなのに、そうはなっていないので、私の考えることのいい加減さがよくわかりますね。
しかし、他国と違って空襲から逃げ惑う中でも、日本では多数の文豪を輩出しているので、そこには日本らしい楽観主義があったのでしょう。坂口安吾からもよくわかるところです。
私は坂口安吾を最も敬愛する作家と呼んで憚らないので、この稿はもっと早く書きたかったのですが、印象に残るフレーズを紹介するってコンセプトを立ててしまった手前、坂口安吾のことは書きにくかった。何故なら坂口安吾の作品は全編に渡って印象に残るところばかりだから。
戦争とは? 社会とは? 男とは? 女とは? 一見、身も蓋も無いような切り口から始めて、都合が良かろうが悪かろうが、真理を目指して不器用に語って行くスタイルが、現代の作家や知識人には有り得ない姿勢なのですが、人間元来こんなもんでしょ? 軍事独裁でも民主主義でも人間の悩みなんて変わり映えしない。思想や性別でチーム分けしようとしても、結局そんなことでは人間個々の尽きない欲求を満たしたり出来ない。
それでも人は健気なもので、今日もまた懲りずに答えを探してもがくわけだが、ここ最近で発明した真理を亡き坂口先生に捧げよう。戦争はあんまり効率よ良い解決法ではない。女は一人が相手なら尊敬も信頼も出来る個体がいるが、複数になると例外なくゴミクズ。異性を口説いて番になりたいときは、悪霊になって相手に取り憑くつもりで行け。無償の愛はもらうものではなく与えるためだけのもの。人間は自分より優れている者を愛することが難しい。娘が天皇陛下になるかもしれない皇后様は気の毒。神様に恋焦がれ憧れることは出来ても、神様を可愛がったりするのは無理であり、それはもはや神様に入門する寸法になる。
あえて解説は書かない。坂口安吾の作品も解説が要るようなシロモノではなく、これこそが読者に寄り添った現実的な表現者の意見だと確信している。
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