クリント・イーストウッド

映画

Go Ahead, Make My Day

 全作名作過ぎて、これと言って作品名を指定して書く気にならなかったので、この書き出しです。
 私はクリント・イーストウッドの映画が好きだ。子どものころからダーティーハリーシリーズを観て育ったのだが、それ以外にも土曜日のゴールデン洋画劇場で出演作を大量に観て、その都度何かしら特別記憶に残る部分があった。三つ子の魂百までで、現在でもイーストウッド氏の新作を観るたびに友人に向かって私感を述べて鬱陶しがられるほどに好きだ。
 実際のところのイーストウッド氏は、日本で我々に好かれているほどには日本を好んでくれてはいなかったようで、反日家だと言う話も聞く。

 しかしまあ、太平洋戦争終結から八十年代までの日米関係を振り返ると、それは仕方がないかなと思う。太平洋戦争は、現代で言われているほどには日本の大敗ではなかったし、何せ当時は日本が国際連盟の常任理事国で、アメリカはイギリスの植民地から脱した後の新興国だったわけである。本当のところ国力がかなり違ったのだろうが、アメリカが世界の覇権を握りだしたのは十九世紀末ごろからのことであり、それまで世界一の経済大国であった清国に日本はそれ以前に戦争で勝っていたのである。何故あんなに無謀な戦争をしたのかと言う向きもあるが、当時の日本の指導層に初めから勝てないと考えろと言うのは無理がある。
 戦争で散々アメリカに煮え湯を飲ませた日本が、更に八十年代ころにはアメリカの魂とも言えるデトロイトの自動車産業を壊滅に追いやった。これでイーストウッド氏らの世代のアメリカ人に、日本を好いてくれと言うのは頭おかしいレベルに図々しい。
 そして日本には日本の道理があり、太平洋戦争は秀吉の朝鮮出兵から続く一連の日本が欧米の植民地から逃れるための自衛戦争であり、これを侵略戦争だと言われるのは、私には納得出来ない。自動車や電化製品も日本の技術力で世界と真っ当に勝負した結果、滅びるところは滅びてしまっただけで、これも悪いことはしていない。


 世の中は善悪だけでは割り切れない。必ずしもヒーローと悪役だけではない。
 イーストウッド氏は、監督作品の中でよく有色人種を助けたり、友人として親しくしたりする描写を挟むことがある。ダーティーハリーでは、初期作で悪役だった黒人の俳優さんが、シリーズを重ねて今度は別人役でハリー・キャラハンの上司で友人の役どころで出演していたりする。西部劇でも用心棒に雇いたいと言い出す町の顔役が、用心棒代に自身の店の商品を何でも持って行って良いと言ったところで、普段その町で虐げられているネイティブアメリカンに、よし、じゃあ好きなだけ持って行けと言って店の物をくれてやる場面がある。『グラントリノ』では、アメリカの魂なはずのフォードトリノを東南アジア移民の青年に譲ってやる。アメリカの魂にしろ日本の魂にしろ、必ずしも白人がとか大和民族がとかそんな括りで継がせなければならないものでもあるまい。
 その土地、その国、その民族にそれぞれの生い立ちがあって、大事なものもそれぞれだろうが、この先その対立で死人を出したり、地球環境を台無しにするほどの争いを起こしては元も子もない。
 しかし、わざわざ文化や歴史をぶち壊してまで、自身の利益だけを得ようとするやつらも少なからずいる。


 現状、日本の工業製品は世界中ほとんどの国で輸入関税をかけられていて、とてもじゃないけど日本は自由貿易の枠内に置いてもらってないなと思わないでもないが、確かに日本製品を野放しにすると、世界中の工業製品が日本製になってしまいかねない。
 故に日本は関税逃れも兼ねて、日本ブランドの現地生産に切り替えたから、本来の輸出先に部品としての商品の輸出と、雇用先の創出も請け負う段取りなった。
 これは実に平和的な解決法であり、共存共栄がいつかどこかで破綻するにしても、どこまで行けるか試して行って欲しい。
 世界がみんな平等で、お互いに切磋琢磨して技術研鑽して、テクノロジーや文化娯楽がもっと発展する世の中を長生きすれば見られるかもしれない。
 とりあえず私は、イーストウッド氏より長生きすることにする。
 いつまでも元気でいてねキャラハン刑事。

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