家庭の幸福 太宰治著

書籍

家庭の幸福は諸悪の

 先日、用があって職業安定所に行ったのだが、総合案内で指定された窓口で順番待ちをしていて気付いたことがあった。
 まず総合窓口の職員にどこで待てばよいか尋ねる。そして指定の窓口で文句も言わずに待つ。そして、自分の順番が回ってきたら、書類の不備を指摘されて追い返される。この一連の儀式に半日つぶされるわけである。
 これはまったく合理的ではなく、何故このようにみんなで連携して時間を無駄にする仕組みを案出するに至ったかと深く考えさせられるところである。
 初めに総合窓口で書類を確認して、この手続きを完了させるに至るかどうかを確認してもらえないものなのだろうか? 次に窓口で一時間以上待たせる理由は何だろうか? 指定の窓口の関連ブースが四つあったとしたら、その内の一つにしか係員は詰めない。相談者が四人五人並んでいても、係員を増やすことはない。一人の相談者の用が済めば、別の職員がようやく隣のブースに座って次の相談者を呼んで職務にかかる。前の対応をした係員はしばらく後ろに下がって、二、三枚の書類を左に持って行って机の上に置いて、しばらく周りの職員と談笑してからまた左の机に置いた二、三枚の書類を取りに行って今度は右の棚にその書類を置きに行く。
 これが職業安定所の一般的な業務であり、戦国武士が名乗りを上げてからようやく合戦を始めたとか、相撲の行事が祝詞を上げてから取り組みを始めさせるとかそんなような話に近い。
 文句の一つも言いたくなるだろうが、待たされている間に文句を言うのはちょっとみっともない。自分の順番が回ってきてから対応の職員に言ってみた。
「こんなにわざわざ相談者を待たせるためにややこしい芝居を打つ必要があるんですか? 四つ相談ブースがあって、職員も後ろに隠れているだけならどうして四つのブースを全部使わないんですか?」
 これを言うだけで四つのブース全部にようやく職員が詰めるようになる。あの人たちは人前で批判されない限りは、わざわざ効率悪くすることしか考えない。
 色々な情報を聞くところによると、今では職安の職員はほとんどが派遣らしいので、少しでも効率悪くして大人数の派遣人数を受け入れてもらわないと、派遣会社から各々の派遣職員の働き口がもらえないからなんだそうである。
 それで誰が得するのだろう? 結局は派遣会社の利益が増えるだけなのではないのかと思うが、つまり末端の派遣職員はその派遣先の仕事がないと生活に困るから家族を養えない。派遣会社の胴元を稼がせないと家庭の平穏が守れない。悪いのは胴元と、それと結託して何らかの賄賂で私腹を肥やしているであろう役人と政治家だ。
 そんな話になるところなのだろうが、そんな風に簡単に悪人にされる役人や政治家だって、その悪徳に走る原動力はハローワークの派遣職員と同じく、家族の生活のためなのであるから、つまるところ一番の悪は各々の家族や家庭と言うやつなのである。

 2006年に起きた『高知白バイ衝突事故』では諸々の疑惑があったようだが、違法なスピードを出す警察の訓練中に、交差点で停車中のスクールバスに衝突した白バイ隊員が亡くなったことに端を発する事件であり、死亡した白バイ隊員に違法を問うと遺族年金が出なくなるからと、スクールバスの運転手を交通違反として実刑にしてまで亡くなった白バイ隊員の遺族を金で黙らせた話になる。
 スクールバスは事故当時停車中だったので、そこまでの過失になる事は一般的にあり得ないし、警察側の捏造証拠の疑いも次々と露見して、裁判の状況が泥沼の様相を呈しつつも、スクールバスの運転手が刑に服すことで決着したとされている。
 この一連の争いもつまりは、それぞれが自分の立場を守ることと、自身の家庭を守ることに起因するものであると言って差し支えありますまい。
 生活を守る。家庭を守る。これは崇高なことのように巷間語られるが、これほどまでに醜く他人の頭を踏み付けてようやく家庭なんてものは存立するのである。
 太宰治の言うことには含蓄がある。
 捨ててはいけないものは大概投げ捨てて生きて来た私にはよくわかる話過ぎて涙が出る。

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