愛の中島丈博劇場(たわしコロッケを捧ぐ)

映画

何のつもりだおい! ふざけた真似をするんじゃない
どうかしましたか? ソースかけてください トンッ
バカモノっ……ペチーン
あたし絶対に離婚なんかしませんからね……あなたとあの女が粘着テープみたいにくっついて離れなくなろうが離婚なんかしませんからね!
何を言ってるんだ……お前、頭がおかいんじゃないのか!?

 このどうにも志村けんと研ナオコで脳内再生されてしまうようなやりとりが、2002年当時昼ドラ枠で放送されていたのである。
 いやいや、中島丈博先生よ……これは無いだろ。笑わせに来てるとしか考えられない。


 このドラマは菊池寛原作の『真珠婦人』をドラマ化したものであり、たぶん菊池寛も草葉の陰で爆笑していることであろう。
 今現在2024年になったが、ここで男が言っている「頭がおかしい」も「ペチーン」ももうダメなんだろうな。実際の男女間の暴力やトラブルは増加傾向なのか、こんなことで暴力沙汰刃傷沙汰になるのは世の中ヒマな奴が増えたってだけののことなんじゃないのかと思いますよねえ。
 話の舞台は終戦後の1940年代から1950年代ころの設定なので、その時代の人が例え話に『粘着テープ』なんて言葉を果たして使うものなのだろうか? まあ中島丈博先生だから何でもアリなんでしょうが、低予算ドラマのこの辺りの面白さが今どきの作品には無いよなあと思うと寂しい限りですよね。(2002年昼ドラ『真珠婦人』はスカパーで観れるそうです)


 ほんの22年前のドラマなのに今だと隔世の感がある。世の中変わってしまった。あのころでも既にジュリーの『カサブランカダンディー』なんか「聞き分けのない女の頬を~一つ二つ張り倒して~背中を向けて煙草を吸えば~それで何も言うことはない~♪」の部分がだいぶん厳しくなってたんだなあ。
 ドメスティックバイオレンスは♂→♀ばかりでなく、♀→♂も恐らく同程度にあるのではないかなと思われる。暴力は何も腕っぷしに物を言わせるだけではないので、男女では扱いが違うだけで同じような件数起こっているのではないかと思う。
 以前書いた三島由紀夫の『不道徳教育講座』に『女は大いに殴るべし』と言う章があって、その中で三島は「私はふがいないことに妻を殴ったことがない」と書いているが、この話に見えるのは、「私には妻を殴ろうと思えるほど妻に対しての関心がない」であり、現代のフェミニストの方々が期待するような話ではなかった。まあ、三島はそうなんだろうな性的趣向からしてね……。
 そしてこのドラマの登場人物はみんな明治大正生まれの人たちになるので、本来男尊女卑な世代であったはずなのだが……このシーンでの奥さんを殴る亭主の表情がなんとも苦痛に満ちているのである。これが中島丈博劇場の真骨頂! 何せ亭主は妻に関心がないのである。心の中には横山めぐみ演じる瑠璃子さんしかいないのだ。関心も情熱向けられない相手のことなんて殴れない。これが昔の日本男児の心持ちだったのは確かなようである。


 これは私が男女間の機微についてよく話すことなのですが、うちの亡くなった大正生まれの祖父がテレビのグルメ番組を観て「他人が旨いもん食ってるの見て何が楽しいんや」と言っていた。これを拡大解釈するとAVなんか観ても「他人が気持ちええことしてるの見て何が嬉しいんじゃ」になるし、風俗店なんかも「ワシのこと好きでもない女抱いて何が楽しいんじゃ」になる。
 結局、人間は自分を中心にしか物事を見ることが出来ない。それは必ずしも間違ったことではない。何故なら他人を思うと言うのは、相手に対する関心がすべてだからだ。まず自分がしっかり相手に対して思うことがすべてで、相手がどうするかは二の次三の次で良い。
 中島丈博作品は昔の日本って感じがする。登場人物みんなが、想像を絶するほど意志が固いのである。人間は是非ともこうありたいと思う。

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