新必殺仕置人 昼行灯に見る大和魂

映画

のさばる悪を なんとする
天の裁きは 待ってはおれぬ
この世の正義も あてにはならぬ
闇に裁いて 仕置する
南無阿弥陀仏

 日本人は、普段さっぱりうだつが上がらないのに、いざってときに滅法強いキャラが大好きだ。
 これは日本だけかどうか、アメリカなんかでもスーパーマンみたいに日常どうってことのない新聞記者のクラークケントが、いざとなると秘密裏に変身して大活躍する話が定番としてある。だから日本の専売特許でもないのですが、日本標準で言うところ「反骨のヒーロー」は絶対的な主人公像として確立されているように思います。
 新聞記者として働く傍らスーパーマンだったり、退役してから浮浪罪で捕まる元グリーンベレーの精鋭兵士ジョンランボーだったりするアメリカの反骨ヒーローより、私にとって永遠の反骨ヒーローは、中村主水以外にありえない。

 奉行所で無能な同心として勤めながら、家庭では更に役立たずの婿養子であり、ケチでスケベでときに悪徳同心として袖の下ももらうクズらしいクズ。
 この誰から見ても普通ならつまらんおっさんが、夜になると殺し屋として活躍するお話。そして、ただ殺して報酬をもらうだけでなく、何故かその対象が殺されるに値するかの調査までする不思議な展開。
 ぶっちゃけ中村主水も仕置人一味も、その殺しが正義であったり人助けである必要はないのですが、そこに至るまでに庶民としての主水や鉄と言った登場人物の心情が反映されるわけです。
 殺害対象が大体、自身の上役であったり、庶民を苦しめる悪徳役人であったりするので、仕置人たちが正義の味方のように見えますが、主水も鉄もいつかは自分が三尺高いところに生首をさらされる悪党だとの意識で仕置に臨んでます。
 この必ずしも主人公が正しいとも言えず、本来強いはずの相手に挑んで行くのが、話として面白いと思うかどうかは、そのコンテンツを観る国の国民性によるのではないでしょうか?
 例えば、昨今取りざたされる韓国ドラマなどなら、基本的に上役の助けを得て活躍する主人公や、財閥の男と結婚して玉の輿に乗った女が活躍する話が多いと聞く。

 これは日本で言うとどうなのだろうか? 水戸黄門みたいに印籠を出して相手がひれ伏す場面を初めから想定したような話になってしまうので、やはり中村主水の活躍のような爽快さは無いだろうな。
 国の歴史が証明するところで日本は有史以来、近隣の超大国である支那帝国に対して、「日出る処の天子、書を、日没する処の天子に致す。恙なきや。」と送ったくらいに、長いものに巻かれず虎の威を借らずなので、これはさもありなん。
 一方、朝鮮は事大主義で支那に媚びたりロシアに媚びたり日本に媚びたり忙しい。
 良い悪いの話ではない。強い者に媚びるのが心地よい国民と、強い者に媚びるのが窮屈だと感じる国民性で評価が別れると言う話。
 強い者に媚びて傘に入れてもらうのはよいのかもしれない。それが家族や仲間のためになるとなれば、それ以外の選択など無いだろう。
 しかし、弱い者や困っている者を踏み付けてまでそうするのは、日本人の美学に合わない。
 これから先も、中村主水をヒーローとみなせる日本国民であり続けて欲しい。
 ウクライナを見捨てて、ロシアに媚びるヨーロッパや中共なんてやっぱりクソだ。

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