日本人は時間に厳しいと言うが、これは外国と比べてどの程度なのだろうかと、ちょっと調べてみた。
細かく個々のことを比べると反論の起こるところもあるでしょうが、現実に海外の知り合いに聞いたところや、インターネット情報を漁ってみたところこんな感じです。
海外ではそもそも腕時計をしている人が少ない。第一に腕時計を着けていても、周りの人が時間を守らないから自分だけが腕時計に合わせて行動しても仕方がない。乗り物に乗るときでも、どうせ時刻表通りに公共交通機関が運行していないのだから意味が無い。などが基本的な時計不要論ですね。
この中で、公共交通機関が時刻表通りに来ないから乗車時間を時計に合わせて考えるのは無駄ってのは、よく海外の人は手を洗わない。だって海外では手を洗って手がきれいになるほど、清潔な水道水が提供されるなんてありえないって話だそうです。どうせいつかは死んでしまうのだから、それなら初めから生まれて来るなってな話ですが、これが現実なのでしょう。
外国人で時間にルーズな人が多いと言うのは、これは何となくイメージとしてあるのですが、アジアの大部分の国で太陰暦を用いていて、その場合は昔の日本のように時刻を一つ二つ三つのように数えるらしく、一時三十分のことを「一つ半」と表現するので、一時四十五分などになると、「何だその中途半端な1/4は!?」となるらしい。中国韓国なんかはこれですかね?
近頃の新興国の成金趣味ではスイス製腕時計が流行っているらしく、ロレックスの高価なモデルの腕時計のベルトを調節しないでブカブカのまま腕に着けている人が多いらしい。それじゃとっさのときに時間を調べると言う腕時計本来の目的を果たせないじゃないかと日本人なら思うだろうが、彼らには彼らの理屈があって、ベルトのコマをとってしまうと、コマが足りなくなる分だけ売値が買値を下回ってしまうからなんだそうである。
中世のヨーロッパ貴族が宝石貴金属を肌身離さなかったのは、いざ襲撃から逃れて潜伏するときに宝石貴金属を売れば逃亡資金になるからって理屈だったのと何ら変わらんのだな。
つまり時計は時刻を知るための道具ではなく一種の投機対象なわけで、新興国の成金には時刻を守って効率よく集団行動をしようとの風習が無いのだとわかる。
バカにするわけではないけれど、ちょっと哀れに思う。
しかし、道具がただ使いつぶされるだけのものであるのも少し悲しいので、こんな妄想をしてみた。
ニューヨークでホワイトカラーとして暮らす、ビショップ氏のお父上が数年前にお亡くなりになった。亡父はアフガニスタン戦争の従軍経験があり、一緒に戦地で銃弾の下を潜り抜けて命からがら無事復員出来たカシオの時計を臨終の際まで腕に着けておられた。
「その不死身の時計もね、オヤジが死んだ途端に液晶が消えちゃって……」
しかし思い出深い物は残して置きたいのが人情。いや、尊敬する父母の生きた人生に敬意を表して同じ生活様式で暮らしたい人は多いと思う。
「クォーツのどうってことのない腕時計だから、安価に電池交換すればまた使えるようになるし、父の形見だし他には代えがたいですからね」
カシオ計算機は、国際的なカシオ時計人気を背景に、古い腕時計でもほとんどのパーツの復刻サービスを行っているらしい。何ならよっぽど壊れてもムーブメント部分を交換すれば、時計としての機能は新品そのものになる。G-shockの樹脂パーツをドレスアップできるメタルパーツなどまであるそうだが、それはちょっと違う気がする。父の形見の腕時計や、母の形見の指輪なんてのは、その両親の生き方を継ぐためのものとしてとらえて間違いなさそうなので。父母の使っていたのとなるべく同じように使えるのが正しいのだと思う。遠い外国で家族の絆を保つためのツールとして日本製品が役立っているのは喜ばしいことだ。
1970年代辺りから世界を席巻し始めた日本製時計だが、それ以前はスイス製時計が世界最高峰の性能と言われていた。今でも値段と高級ブランド力ではスイス製が上なのかもしれない。
海外では日本のグランドセイコーが世界最高峰と見る向きもあるらしいが、時計制作の歴史においてスイスに一日の長があるのは確かだ。事実、1970年代以前はスイス製が世界一正確で耐久性のある時計だった。日本がクオーツで覇権を握ってからは安価で高性能な時計を量産して、世界中の人が時間を守ってお互いを待たせず、思いやりを持って平和に暮らせる世界を作ることに寄与できたはずである。
なるほど、スイス製ロレックスを着けていて時間を守って行動できないやつより、二、三千円で買ったようなカシオのデジタル時計を愛用して、約束の時間をしっかり守って行動できる人の方が正しいに決まってる。
私も祖父の形見の腕時計を肌身離さず使っているクチですが、なんとスイス製のロレックスです。もちろん五十年以上前に祖父が購入して以来の物で、日本製の時計がまだ、スイス製に遅れをとっていたころの物だ。祖父はいつもこの時計の防水性が世界一だと自慢していた。私はこのまま一生使う。メンテナンス費用をケチって、一日に二分近く遅れるようになっているので、毎朝欠かさずに電波時計で時刻合わせをするのが日課だけど、腕時計を電波時計にする予定はない。時刻を知るための道具としてでも、祖父の形見としてでも肌身離さないのは同じことなのだから。
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