車の国

時事

 日本はいつの間にやら自動車大国と呼ばれるようになっているらしい。

 むしろ日本に残された産業は自動車だけだとも言われているくらいになっている……らしい。が、以前に別項『時計の国』で書いたように、世界一売れた腕時計としてギネス認定されているのはカシオ計算機の「F-91W-1JH」であり、各種センサー、コピー機、炊飯器、バイク、温水暖房便座、魚群探知機、自転車部品など世界トップシェアを誇る分野が数知れずあって、実際のところやはり日本はハイテク国家なのが揺るがない。

 日本は不思議な国で、海外向けに開発生産したものより日本国内向けのガラパゴス市場で売れたものが海外に広まることが多い。携帯電話に付属したカメラで画像を撮って、携帯電話からインターネット接続してその画像を送るなんてのも日本社会から出た発想が世界を席巻してしまったものである。

 これが手元で使う製品に限らず、土木やインフラでも日本の斬新な技術やアイデアが世界各地で役立っていることはたくさんあって、特筆するべきはダムや上下水道の整備に関してだろうか。

 飲み水は人の命に関わることであり、数百年に渡って日本人が海外に渡ったときに苦しめらた課題でもあった。

 秀吉の朝鮮出兵の際には、一万五千人の部隊の内で五千人が飢えと風土病で亡くなったなどのケースもあったと言う。日本が明治維新以降に近代化してから初めての国外開発は台湾の統治であったが、台湾開拓期には現地の井戸水からヒ素が出たりして、このヒ素中毒を風土病だと勘違いしたまま多くの開拓民を失った。

 日本の本土では古くから稲作のための涵養事業が行われていたので、山から下りてくる湧き水や伏流水などが落葉樹の落ち葉などの地層で濾過されていて、ひどく汚染が残っていることが少ない。

 それでも関東などでは群馬や長野の火山群を水源とした川もあるので、この21世紀まで硫酸が流れてくる川などもあったらしく、その強酸性の水源を中和して下流に流すためにダムを作ったりだいぶん苦労したようだ。

 日本人は自分たちが生きて行くために本来色々な努力をしていて、海外の人たちもそれと同じことをしているのだと思い過ぎている。むしろ他国ではもっと優れた環境への配慮をしているのだろうくらいに思っているのだが、その辺りの分野では日本が世界のトップランナーなのを忘れてはいけない。

 1997年に日本のトヨタ自動車が初代プリウスを発売して以降、世界は日本のハイブリッド技術をバカにしたり潰そうとしたりしてきたのだが、結局環境を守るためにはハイブリッドが最適解だったのだと近年証明された節もあり、石油産業を後ろ盾にして敵として立ちはだかるアメリカ共和党を正義のアメリカ民主党が打倒するシナリオにも陰りが見え始めた。カーター元大統領やアル・ゴア元副大統領などの太陽パネル電気自動車詐欺は五十年来続いて来たが、これをどう着地させるのか見ものである。

 とは言え、私はトヨタ自動車にもハイブリッド車にも余り賛成する気は無く、本当はこのままガソリンと排気ガスの臭いにまみれて一生を過ごしたいと願う。

 モーターで振動も騒音も無く快適に走れる電気自動車も良いのだろうけれど、それが果たして人類の発展や偉大な文化のためになるのかどうか? ガソリンエンジンと言うのは、単純にシリンダーに吹き込んだ気化ガソリンを圧縮して爆発させる威力でピストンを押し戻してクランクシャフトを回す原理の繰り返しで回転運動を発生させて車輪を回す……と言うのは簡単だけれど、実際にはガソリンエンジンは簡単に回転数を上げたり下げたり出来るものでは無いし、いきなり止めたり回したり出来るものでもないので、ガソリンエンジンで起こした回転エネルギーで先ずは重りを回す。そしてその重りの回転力を維持したまま、その重りが遠心力で回っている力に車輪の回転軸を繋げたり離したりすることで車のスピードや力の出加減を調節しているのである。


 これが原子力エネルギーに変えて考えてみても同じことで、原子炉は簡単に止めたり動かしたり出来るものではないと言うことをほとんどの日本人が福島第一原発の報道で知っているだろう。回しっ放しの原子炉から出たエネルギーをすぐに使うことは出来ない。電力として蓄電池に貯蔵するか、送電線で原発から離れたどこかに送って使うわけだが、蓄電池はガソリンをタンクに貯めておくかのように密閉して貯蔵中にエネルギー量が減って損なわれないわけでなく、勝手に放電されて減ってしまう。遠くに送電するにも電線の中での抵抗によってエネルギーが減ってしまう。結論として原子力エネルギーも石油エネルギーも電力に変えるより、そのままの熱量で動力として使うほうが効率は良い。ましてや石油でもって電力を作ると生産される電力は石油本来よりエネルギー量が劣るわけだ。更に貯蔵と送電でエネルギー量は損なわれる。こんなのが環境に良いなんて絶対にウソだ。

 仮にガソリン駆動の自動車が環境に悪いのは、移動する範囲にくまなく排気ガスを巻き散らかして、タイヤカスでマイクロプラスチックを振りまくのだから大地を汚すのだとか言い出したらこれはもう人間は石器時代の戻るのが一番だとなってしまう。

 とまあ、こんな具合でエネルギー政策の転換には賛否やそれぞれの損得が絡むわけであるが、本当にこの不毛な議論を終わらせて人間が文明生活を送りながら環境を浄化して行こうとするなら、少なくとも百年以上は劣化させずに電力を貯蔵出来る蓄電池や、送電中にせいぜい1/1000程度しかエネルギーを減らさない超伝導体で出来た送電線を発明することですな。

 少なくともまだ残り数年はガソリンエンジン車を楽しめるだろうし、エンジンには永遠の課題である効率的なエンジンの問題についての提言がある。

 自動車にしろバイクにしろエンジンを長持ちさせて快適に使うためにはメンテナンスが必要不可欠だが、エンジンの理想的な設計や適正な運用方法を考えるに、エンジン内部は金属同士が触れ合うことなく、間にエンジンオイルの油膜が介在しながらヌルヌルと動くことが良いとされる。

 当たり前の話だが、これを誰もが勘違いしがちなのが、金属同士の摺動面を滑らかにすればスムーズにエンジンが動くなんてことはない。金属同士が擦れ合うとどうやっても摩耗するのが当たり前なので、金属と金属の間にはオイルが挟まってないとならない。

 一般的な4ストロークエンジンでは、クランクの回転によってオイルをかき上げてヘッドから落として循環させるわけだから、オイルは柔らかいほうがクランク回転の抵抗にならなくて低燃費に寄与できるとするのが最近のトレンドであるのだが……これは本当なのだろうか? エンジンオイルの役割としては先に述べた金属部品の間に隙間を作ったり、その隙間を塞ぐ役割と同じく、エンジン燃焼室から気化ガソリンが漏れ出して来ないように隙間を密閉する役目もある。あれこれあるにしても何より部品の寿命を長くするためにはエンジンオイルの粘度は高いほうが良いのではないだろうか? それとも炭素ガス排出削減のためには部品を早く壊して車の買い換えを促進したほうが良いのだろうか?

 現在世界中を走っている自動車バイクを全て電動に入れ替えてしまうとなれば、我々人類が絶滅するまでに処理しきれないほどの産業廃棄物を抱えることになるが、それは解決出来るのだろうか?

 何が正しいのか世界中の誰もがわからないのであり、こんなことは人類史上始まって以来何度目のことなのかと思うが、多分過去にはこんな権謀術数渦巻いた方針転換は無かっただろうなあ。

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