エロ事師たち 野坂昭如著

書籍

スペシャルとお母はんか、おもしろいこといいよんな、せやけどあの母親やったら、どうも感じでんで、おそろしかったもんなあ

 男はみんなマザコンである。これは確かに間違いではない。しかし女にもファザコンと言うのはいるのだろうか? 仮にお父さんが大好きな女の人がいたとしても、それは男の母親に対する気持ちとは違うのだろう。


 冒頭の引用は、主人公スブやんのセリフで、その前段階には相棒「伴的」による、「お母はんの愛情ちゅうもんは、こうなんちゅうたらええかな、サービスええやんか、献身的やろ。そいでちょと残酷なところもあるわ、スペシャルで男が往生するやろ、その時にイヤーやらアラアラやらいうて女がタオルでふきますわな。あの時、なんやお母はんによう似とると思うねん。男はもうその時必死やで、なんやしらんけどすがりついとるわ、そやけど女はまるでへっさらでおる、それがどうもお母はんと赤ん坊の関係みたいなんやな」とある。
 いや、ここで性的な記事を書こうと言うのではない。ことほど左様に異性のことと言うのはわからないもので、女は男にそんな母性を求められても甚だ迷惑であり、それを満たしてもらったとして男のほうは何の見返りを提供出来るのかとなる。
 つまり、男と女が世間一般の家庭生活のような役割分担をして、それによって性自認をするものとするなら、女は男にかいがいしく世話を焼き、男はそれにより大きく応えるべく経済的支援を女に対して果たす。これが家庭内で行われている分には何のことはない家族の営みだが、社会で行われれば売春や色恋詐欺になるわけである。
 しかし、人間は食わねば死ぬ不変の定理によって、衣食住を何らかの方法により充実させなければ生きてすら行けない。自身が食って行くために春を売る女に求める献身的ってなんだろう?
 そしてこれが昨今では、男女入れ替えても成立してしまうと言うのが、情けなくも面白い。
 一部のものすごく稼ぐ女の人が、男を買うらしい。どう買うのかは不明であるが、まさか男が女にかいがいしく毎朝味噌汁を作って、破れた下着を繕っているわけでもあるまい。それにマザコンやファザコンを言うなら、本来のお父さんが自分を育てるときに、味噌汁を作ってくれたり繕い物をしてくれたりしたって女の人がどれだけいるだろうか? ほとんどのお父さんは職務に忙殺されて子育てのことなんてお母さん任せだろう。世の中がどれだけ変わろうとしたって、そんなもんこの先百年経っても変わりゃしない。
 難しいことを書いているように思われると困るのだけれど、この作品は太平洋戦争終戦後の昭和二十年代三十年代に於ける風俗産業を描いたお話なので、現代とは少し形が違うように思えるが、人の心や求められるものはあまり変わらないのではないかと思う。
 昭和から平成令和に至って、世の中や個人の価値観がものすごく変わったように言われることもあるが、人間の根源的な欲求は何ら変わらない。毎日食欲と睡眠欲に支配されて、定期的に性欲にも突き動かされるのが人間始めとする生物の営みだ。
 ここまで書いて何が不思議なのかと言えば、女の人がホストクラブに通って経済的に破滅した挙句、犯罪に走る事件について、女がホスト男から得られるものって何だろうと言うことである。うず高く積み上げたグラスにシャンペンをドボドボ注ぐのが何でそんなに気持ち良いとなるのかさっぱりわからん。


 これはホストと言う異性に対しての愛なのだろうか? そうではないのじゃないか? 同じことをするおっさんが、キャバクラのホステスさんに対してどう思うのだろう? 
 これらの事象に対して、一つ男女に違いがあるとするなら、男の場合相手の女の気を引こうとの考えが想像出来るのだが、女の場合はホストクラブに金を使うのはホスト男のためでなく、自身の見栄のためなのではないかと思えるところである。
 例えば、教育ママが息子の成績を誇る場合に、本当に息子の将来のためだけを考えているのだろうか? 亭主の出世を望む主婦の考えはどうか? こうだと決めつけることは、もちろん出来ない。人それぞれだろう。
 男の場合はどうだろう? 女に見栄を張らせるためだけに出世したり、キャバクラでシャンパンタワーを数百万円かけて行うのだろうか? 対象の女への性欲が彼を突き動かしてるのだとの考えを、多くの女の人が叫ぶのだが、それは本当にそうなのだろうか? それで女の気を引いて一線を越えられたとして、その後はやはり毎朝味噌汁を作ってもらいたいのだろうか?
 若さも美しさもいつかは失われて、つまり行く末には男が外で稼いで、女は家で毎日せっせと味噌汁を作る。これを古い考えだとは言えますまい。だって若さも美しさも永遠ではないから。
 この小説では、主人公が体の一部に不振を覚え、それを振り払おうとしてもがくが、結局最後には……、スブやんがお陀仏やんになってしまう野坂ワールド全開作品に終始する。
 まるでホラー映画で怪物が迫って来たのに車のエンジンがかからないが如く、夢の中で悪人に追われている最中に逃げるスピードが落ちてしまうかのように……肝心なときにスブやんのアレがナニしない!
 人生は儚くて、必ずしも思いは遂げられない。だがその過程こそが人生であり、思いを遂げたとしても、その後のほうが大変な場合が多い。
 あなたの今日の行いが、果たして将来のためになるだろうか? 毎朝の味噌汁のためになる努力なのだろうか?

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