大丈夫だ!!俺がついてるから 頑張れ!! 全部上手くいくから・・・!!
久しぶりに面白いマンガだった。マンガと言うかこれをアニメから観始めたので、私としてはアニメで最終回まで観たかったが、何なのか大人の事情ってやつなのか、最終章に入る前辺りでアニメ版は中断したままである。
いきなり冒頭の心に残る一行について、これは登場人物の谷垣源次郎が、手負いの状態になりながらも身重な後の愛妻であるインカラマッを抱えて逃げるシーンでのセリフである。
何となく昭和時代のドラマを思わせるようなセリフ回しであるが、いつの時代になっても恋人や家族にこんなことを言えるような男になりたいものである。
ゴールデンカムイは中々に人の感情を考えさせられる作品で、友人が面白いと言っていたので観始めたのだが、日露戦争後の北海道でアイヌが密かに独立を企んで貯めていた砂金を、復員兵や軍内の反乱分子や新選組の生き残りが奪い合うことを軸にしたストーリーになる。
今どきでは珍しく恋愛エピソードはほぼ無いのだが、唯一と言ってよい谷垣源次郎とアイヌの占い師インカラマッの出会いから結婚出産までがストーリーに絡んで行く。
しかし、これは物語の本筋とはあまり関係が無い。ただ、みんなが一生懸命だと言う部分で大いに影響が出て来るので、この部分は非常に良かった。
飯を食ったり、異性に対しての態度をどう示すかであったりなどは、その人物のキャラクターを表すのにとても重要なのだから、当然これがないと登場人物に感情移入出来なくて作品自体を楽しめない。
アンガやアニメのように、絵によって人物の感情を伝えるなどと言う手法が、百年後に主流になると知ったら、現代小説を考案した夏目漱石は一体何を思っただろうか? 文学の可能性を悲観しただろうか? いや、漱石ならたぶんそれを面白がっただろうな。
ゴールデンカムイの原型は、手塚治虫の『シュマリ』なのだろうとみんなが思ったようで、世論でもそんな感想が多い。これには私も同意するのだが、うーん、どっちも好きだなあ。『シュマリ』の時点で手塚治虫は、北海道開拓と劇画と当時人気だったマカロニウエスタンをミックスしたとか言ってたような気がするので、やはり当然ながら北海道開拓史と西部劇は相性が良い。これならさらに朝鮮開拓時代や満州開拓で日本兵と馬賊と共産主義者がバトルロイヤルなんて話でも行けてしまう。それはもう既にあるのか?
アニメで見始めた当初は、ずいぶんな大風呂敷広げよったなあ……と思いながら観ていたのだが、結局アニメが終った後の最終回はマンガ原作で読んでしまった。
この時代の男女は、恋愛や性欲色欲ではなく、信義で繋がっていたのかと思うと、現代人は誠に恥ずかしい思いをすること必至であり、もう一度このような社会にならないかと思うことも無きにしも非ず。
しかし、内部が信義や礼節によって固まるのは、外部からの脅威があってこそなのであろうし、国内でつまらない内ゲバを繰り返せるのは幸せな状態なのかもしれない。
しかし、つまらないと言うのがこれほど適切な状態も無いものである。本当は我々が何と戦うか見失っているだけなのかもしれないが、戦争で内側がまとまるだとか、学生運動の指導者がごとき、若者に不安を煽って何かの教祖のようにふるまうやつが現れるのもおかしな現象である。
生物進化の島嶼化と言うのがあって、同じ祖先をもつ生物が、大陸と島嶼部に分かれて分布した場合に、大陸では大型化して島嶼部では小型化する現象が見られるらしい。これによって、日本列島には比較的小柄な人が多いが、支那大陸には大柄な人が多いと一般的なイメージが出来ている。細かく一人々々や民族地域ごとに見るとそんなことも無さそうだが、これには理由があるらしい。大陸より島嶼部のほうが外敵が少なくて、大型化して身を守る必要が無くなるからってのが小型化のわかりやすい理由か。
他にもっと複雑な理由もあって、島だと生き残るための食糧確保や居住地の整備などで、外敵と戦うことより、同種族同士で協力して分け合わないと種自体が滅びてしまうので小型化して消費量を減らす。大陸だと分け合うより新たに餌や富を奪いにフロンティアするから、一頭ずつが大型化して同種同士でも負けないようにしなければならない。
これを考えると、日本が昔から戦争に比較的強い国だったのが、生物の島嶼化によって集団行動に向いていたからと言うことになるか? 他には背の低い民族としてタイやベトナムが戦争に強いことにもうなづける。タイやベトナムは島国ではないので、この流れの話には当てはまらないのだが、タイは東西をフランス領ベトナムとイギリス領ビルマに挟まれても独立を保った国であり、ベトナムは記憶に新しいアメリカに勝った国である。
もうこの先の我々は、主人公だけが圧倒的に強いストーリーには満足出来ない。ゴールデンカムイのようにそれぞれがそれぞれの思惑で必死になる話でなくてはダメになる。
現代人はこの平和の中で、もう後戻りできなくなってしまった。唯一、「好きなタイプは背の高い男の子です!」などと言っている田舎の女学生だけが、日本を平和ボケから抜け出させてくれる武闘派なのだろうか?
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